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デシズム!

とある職人の弟子がぼやいてます

想像力で、ひとつ技をあらゆる場面で使えるように

ある工程をそつなくこなせるようになったとする。その工程に関してはマスターしたと言えるほどに。

 

でも、それでは十分じゃない。むしろ、それで終わったとしたら、ほとんど意味がない。

 

大切なのは、その工程で覚えた技を他で活かすこと。一つを覚えて、一つができるようになることに満足せず、十の場面で活かせるように考える。試してみる。

 

そのときに重要になるのは想像力だと思う。

 

想像力がなければ、一は一だ。一を十に広げるための起爆剤、それが想像力なんじゃないかと思う。

 

経験値も大切であることに違いないが、あくまで補助的なものだろう。経験とは、一をコツコツと積み重ねることだからだ。

 

とにかく、想像力を働かせ、自分の力を最大限に使えるようになりたい。

 

 

いいモノを使ってこそ、いいモノが作れるのか

最近、いいモノを使いたいという欲望がふつふつと湧いてくる。

 

なぜなら、いいモノを使ってこそ、いいモノが作れるようになる気がするからだ。つまり、一流を知らない人間に、一流のモノが作れるのだろうか、いや、作れないだろう、という発想である。

 

ポイントは「使う」というところにあると思う。使うと一言で言っても様々な状況が考えられるが。生活の一部に溶け込ませると言えば伝わるだろうか。

 

僕は料理が好きなので、フライパンや包丁に少しこだりを持っている。どちらもハンドメイドのもので、世間的にも評価が高いものである。

 

これを使うことでその世界における一流の品が持つ「なにか」を感じ取れるかもしれない、と思っている。それは最初に触れた瞬間に電気が走るように感じ取れるかもしれないし、何年も何十年も使ってみて初めて理解できるモノかもしれない。素人目で見てもわかるものかもしれないし、かなりの教養と審美眼を持っている必要があるかもしれな。

 

とにかく手探りでもいいから、いいモノとはなんなのかがわかるようになりたい。そのためには、きっかけを身の回り、生活のあらゆるところに作っておきたいのだ。

 

タオル一枚でもそう。鉛筆一本でもそう。いいモノがいいモノたる所以が知りたい。

 

なにも買う必要はないんじゃないか。それが置いてあるお店で見てくればいいじゃないか。美術館や博物館に行けば、一流ものが溢れているじゃないか。ネットでもそこそこの情報が得られるんじゃないか。そんなふうに思うこともある。

 

しかし、それで万事オッケーであるためには、人間の方がそれなりの感性を持っていなくてはいけないと思う。それこそ一流の感性を持っていなくては。

 

凡人であればあるほど、近いところで見る必要が、感じる必要がある。となれば、「使う」しかないのだ。

 

そんなわけで、なんでも適当に買うのではなく、こだわり、自分自身が自信を持って一流の品だと思えるものをどんどんと生活に取り入れて行きたい、という話。

腕を磨く

職人は腕を磨かなくてはいけない。なぜなら、その腕の良し悪しで食えるか食えないかが決まるからだ。

 

しかし、お師匠さんは腕の磨き方は教えてくれない。当然だ。磨き方を教えられたら、磨き方ばかりに目がいき、肝心の腕の方がおろそかになる。

 

お師匠さんは磨かれた腕を見せてくれる。ピッカピカの腕を見せつける。弟子はその輝きを見たあと、自分の腕を見ることになる。古い十円玉のようにくすんでいる。

 

どうやって磨けば腕は輝くのか。どれだけ磨けば輝くのか。少し考えてみるが、結局、よくわからない。自分の腕のことなのにはっきりしない。

 

だから試行錯誤する。考えつつも、行動してみる。行動の前後で何か変わったか、どんな小さなことも見逃さないようにまじまじと見つける。

 

何も反射することのなかった自分の腕に、ぼんやりと何かの輪郭が写り込んでいることがあるかもしれない。この調子で磨けば、鏡のようにはっきりと見えるようになるだろうか。そんなことを思いながら、また磨き始める。

 

だが、うまく磨けないこともある。腕は複雑だからだ。腕には、指があり、爪があり、手首があり、肘がある。関節もある。それぞれで磨き方が違う。人差し指がうまく磨けるようになったからと言って、中指もうまく磨けるとは限らない。

 

しかし、人差し指と中指がうまく磨けるようになれば、薬指の磨き方にある程度見当がつけられる。己で試行錯誤を繰り返した分だけ、その勘は鋭くなっている。

 

輝き具合をしっかりと見つめつつ毎日丁寧に自分の腕を磨く。

1から10を知るっていうのは簡単じゃない。

職人は基本的に口数が少ない。僕のお師匠さんも然り。

 

だが、出てくる言葉の数に反して、頭の中を巡っているものは多い。そして、その多くが言葉にするのが難しいことだったりする。

 

お師匠さんには10の伝えたいことがあったとしても、言葉になるのは1だけだ。なので、僕の耳に入ってくるものも1でしかない。

 

しかし、その1を手掛かりに10までを復元することを弟子は期待されている(ように思う)。

 

例えば、身振りだったり、声量だったり。置いてある道具や材料。天気や季節。昨日のこと、明日のこと。色々な要素を読み取り、ぐるぐると考える。

 

で、こういうことかな?と行動してみる。と同時に、お師匠さんの反応も気にする。方向性があっていれば無反応。間違っていれば怒りのボルテージが上がる。

 

苦労したつもりが全然できなくて1にすらならないこともあるけど、調子がいいときは2になることもある。

 

あらゆるヒントを読み取ること、そして、それを元に試行錯誤を繰り返すことで少しずつ10に近づいているはず。

 

簡単じゃないけど、挑み甲斐はある。

 

めげずに頑張ろう。

さぁ、ぼやこうか。

ぼやくーぶつぶつ不平や泣き言を言う。

ぼやくの意味 - goo国語辞書

 

このデシズムでは、職人の元で修行中の見習い、つまり弟子である僕が日頃感じたこと、考えたことをぼやく。ぶつぶつと。

 

仕事に関することはもちろん、将来のことや人間関係などなど・・・とにかく色々吐き出そうと思う。