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デシズム!

とある職人の弟子がぼやいてます

弟子はAIに仕事を奪われるのだろうか考察

最近、AIが人間の仕事奪う日が来る、やばい、みたいな話をよく見かける。

 

仕事にカテゴライズされるのか疑問だが「弟子」はどうなのだろうか。AIに奪われるのだろうか。今日はそこんとこを考えてみたい。

 

まず、弟子とは何か。正確にいうと仕事ではない。人間関係の名称だ。師匠がいるから弟子がいる。師匠にも師匠がいる。となると、弟子にも弟子がいることがあるかもしれない。

 

師匠から弟子へと技や伝統が受け継がれる。その受け継ぎの連鎖があるからこそ、弟子はいつか師匠となり、その師匠に憧れて新たな弟子が生まれる。

 

その連鎖のあるときに弟子が人間ではなくAIになり得るのか。

 

ほとんどの場合、弟子は自発的に弟子になる。AIは自発的に弟子になるだろうか。僕にはイメージがわかない。工房で仕事をしていたらAIが突然やってきて(ロボットかもしれないし、ただのメールかもしれない)、「弟子にしてくだい!」と頼まれた。そんなことが未来では起こるのだろうか。

 

師匠がスカウトする形で弟子になる場合はどうだろう。こっちはいささか現実的だ。

 

師匠目線で見たとき、弟子は雑用要員である。その後グレードアップすることはあるが、スタートは基本的に雑用をこなすためにいる。掃除や荷物運びなどなど。

 

そんな雑用でも人間がすることなのでミスは起きる。それで「そんなこともできねぇのか」と怒鳴られる。呆れられる。未来では、そんなことならお前よりAIを使った方がましだよ、となるに違いない。掃除はルンバみたいなのがいるし、荷物運びも自動でしてくれる何かが誕生するだろう。車の運転は自動化され、事務作業はそれこそAIの本領発揮かもしれない。学習スピードは人間の比ではないから、あっという間にノーミスで全ての雑用が処理されることになる。

 

弟子の出番、なくなるな。

 

師匠サイドの損益を考えると、弟子じゃなくてAIを使った方が何倍もいい。

 

頼みの綱の「技と伝統の継承うんぬん」も時間の問題だと個人的には思っている。

 

師匠が作業しているところを3Dカメラを積んだドローンが撮影しつつ分析し、細部までデータ化。「じゃあこれ100個作っといて」と頼めば、3DプリンタやたCNCルータが動き始めて、明日の朝には出来上がっている。

 

師匠がAとBのパーツを接着する様子や接着したものをカメラで撮影。あとは、ロボットアームが完全に同じように接着作業を繰り返ししてくれる。

 

気温や湿度の変化と師匠の動きの変化の相関関係を割り出すこともAIなら簡単にできるだろう。

 

伝統に関しては、AIが仕事をし始めたところで、今と状況は変わらない。「昔ながらの〜」っていう人たちは、今の機械工作に対してもAIに対しても同じようなことを言っているだろうし、「時代の空気に合わせて〜」って人たちは微塵の抵抗もなくAIを使うだろう。

 

なんだか話はまとまらないが、言えることは、弟子はAIに仕事奪われますということ。しかし、師匠もAIに仕事奪われる可能性が非常に高いのも事実だよなぁ。

 

 

【弟子の経済事情】僕は恵まれている方だけど、もっと上を目指したい

ズバリお金の話です。

 

「職人の弟子」といえどもその雇用形態は様々(だと思う)。

 

給料はゼロで寝食を共にするタイプから福利厚生付きの月給制まであるんじゃないかな。

 

僕の場合は日給。生活費を節約すれば自由に使えるお金もあるので、恵まれているといえば恵まれている。

 

でも、時給換算すると最低賃金を下回る。同じ時間だけバイトした方が稼ぎはいいわけだ。これは「好きなことを仕事にしている」ということとのトレードオフだと上手く自分を納得させるようにしている。

 

しかし、そうは言っても将来のことを考えると不安をぬぐいきれない。もっと自由に使えるお金が欲しいという欲も当然ある。

 

それらを解決するためには、稼ぎを増やし、貯蓄を増やす必要があるんだけど、弟子としての稼ぎにはあまり期待できない。稼ぎが増えることは、可能性として十分ありえるし、その気概を持って仕事に励むことも大切だと思う。

 

とはいっても、稼ぎが増えるかどうかはお師匠さんが決めることであって、僕にその権限はない。つまり、僕にはコントロールできない。

 

この点がなかなか歯がゆい。

 

幸運なことに副業は認められていて、その気になればアルバイトをして稼ぐこともできるのだが、なかなか気が進まないのが現状。

 

なぜならアルバイトでは働いた時間に比例した稼ぎにしかならないから。当然だけど、働く時間を減らせばそのぶんの稼ぎも減る。

 

理想的なのは、努力を注いだぶんだけ時給が増え、働く時間を減らしても稼ぎが変わらない。そんな仕事。

 

甘いこと言うなと怒鳴られそうだけど、世のなかそういう仕事も実在している(ようなことが書かれている。主にネット記事)。

 

選択肢は3つ。

 

1.副業なんて考えずに弟子として仕事をする

 

2.アルバイトをする

 

3.理想の副業をする

 

まぁ、3番しか心の中にはないのだけれど・・・

 

とにかく、株でもアフィリエイトでも勉強するところから始めてみよう。しばらく続けてみて、手応えがあればラッキー、不毛であれば再考してみる。そんなスタンスでやってみよう。

 

弟子としては恵まれた経済事情だが、もっと上を目指すために空いた時間を有効活用してみることにする。

 

他人の前だけでストイックなふりをしていないか

他人の目に自分が写っているときだけストイックなふりをしている。というよりも、他人の目がないとストイックになれないのか。

 

自分がそんな人間であるような気がしてならない。

 

でも、油断すると「ストイックな自分」が本当の自分だと錯覚してしまいそうになる。独りのときの気の抜けた自分はただ一時的な姿であると楽天的に考えてしまう。そして、たまに自己嫌悪に陥る。

 

他人にはストイックな自分しか見せていないから、他人の前ではますます気の抜けた姿が見せられなくなる。

 

もっとストイックに生きたいという願望はある。しかし、その願望が行動となって維持される時間は短い。1週間続けば上出来で、文字通り三日坊主になることがほとんどだ。

 

上っ面だけのストイックさではなく、達成や成功まで死に物狂いになれるものが欲しい。

 

何かが足りないのだろうか。追い込まれ、必死になればいいのか。それともそもそも素質がないから不可能なのか。

 

方向性の問題だろうか。これというものが見つかれば、自然とストイックになれるのだろうか。

 

転機を待っていたのでは遅い。何か自分の中で大きな変化を起こすものに出会いたい。とにかく色々もがいてみよう。

『平成建設』知ってる?秋元久雄の「高学歴大工集団」を読んで

面白そうなタイトルだったので読んでみました、『高学歴大工集団』。平成建設という建設会社の社長・秋元久雄氏の著書の一つだ。

 

秋元氏の営業や経営に関する思想や哲学がぎっしりと詰まった一冊で、読んでいると自然と氏の熱意が伝わってくる。これがIT系企業の本であれば、その思想や哲学は特に真新しい感じもなかっただろうけど、ガテン系な建築会社での話だから驚きである。

 

本書を一言に要約するならば、「人材育成を大切にしなさい」ということだろう。今の社会では、人材育成はハイリスク・ローリターンだと考えられる傾向にある。ネットサーフィンしてたら転職の広告ばっかり出てくるもんね。3年一区切りで考えて、今の会社に不満があるなら、別の会社に行けばいいじゃん的な風潮が確かにある。ある程度仕事を覚えたら、独立して、フリーランスで、みたいな考えを持っている人が多い。あくまでも主観的なもんだけど。

 

これって経営する側から考えたら大問題だよね。何もできない人間を雇い、一から教育し、やっと仕事ができるようになってきた。そう思ったら、突然、転職します、独立します、となる。ここでダメ!うちに残りなさい!と強制することもできない。引き止めるにはそれなりの対価が必要だし、対価もなしに引きとめようとして騒がれたらとんでもないことにもなりかねない。

 

だから、多くの経営者は人材育成を無駄だと考える。ある程度育った人間を雇った方がコストもリスクも少なくて済む。特に不景気であれば、相対的にいい人材が見つかりやすい。わざわざ立派に育つかどうかもわからない素人の教育を引き受ける必要はない。

 

確かにこれは一見合理的だが、視野を大きくすると非常に危うい状況だとわかる。人材育成が行われる場がなくなるとどうなるか。例えば、部活動を考えてみるとわかりやすい。

 

部活動に1年生、2年生、3年生がいれば、3年生は2年生に、2年生は1年生に指導することになる。3年生と2年生の間で行われる指導は、かなり高度なはす。さらにお互いに2年間の絆があるため、全てを言葉にしなくてもわかり合う部分も多い。一方で、2年生と1年生の間の指導は、基本的なことがメインになるだろう。1年生は「何も知らない」ということが前提としてあるので、丁寧に教える必要がある。

 

年度が変われば、学年が繰り上がり、それぞれ立場が一つランクアップする。そして、新しい1年生を受け入れ、教育をしていく。そういった循環が部活動にはある。

 

では、部活動で人材育成の場がなくなるというのはどのような状況か。それは、ある年の入部を一切受け付けないということ。その結果として、1年生と3年生しかいないような状況が生まれる。3年生と1年生ではうまく噛み合わず、的確な指導ができない。1年生は3年生の感覚的な指導を理解できるはずがないし、3年生は1年生のまっさらな状態を理解できない。つまり、コミュニケーションが成立しない。

 

かなり大げさな例え話になったが、これが建築現場であれば、その道40年のベテラン大工が3年生、やっと1年目のペーペーが1年生である。コミュニケーションが成り立つはずがない。

 

世代世代の間に切れ目なく人がいることで、滑らかに組織全体がコミュニケーションできる。つまり、指導が行き渡る。これが人材育成が大切であるという言葉の意味である。

 

常に人材を育成しなければならず、溝を作ってはいけない。経営者としては非常に負担のかかることであるが、秋元氏は実行したのだ。心からすごいと思う。

 

将来的にも、秋元氏のこの思想に出会えたことはかなり価値のあることになるんじゃないだろうか。素晴らしい一冊だった。

弟子の休日の過ごし方

休日の過ごし方に悩む。

 

平日の仕事の疲れを癒したい気持ちがあるが、ぼーっとしているわけにはいかない。そうやって時間を無駄にしている間も、ライバルは休まず自分の腕を磨くことに努力を注いでいるかもしれない。そう考えると、落ち着かなくなる。

 

それならいっそう休日も仕事のためになることをした方が、精神的な安らぎが得られかもしれない。

 

そう思い関連書籍を読み始めた。今の所はいいリラックスになっている。

 

他にもリラックスになることはないか。少しずつレパートリーを増やしていこうと思う。

日々のあれこれを洗い流したい気分

「生きる」といういたってシンプルなことがしたい、ただそれだけことなのに現代社会では複雑な手続きが必要で、エネルギーを消耗する。

 

3月。つまりは年度末。

 

この時期はよくわからない手続きが多い。

 

これまでいろんなサービスのお世話になってきたからであり、自業自得なのはわかっているけど、面倒なのも事実だ。

 

解決方法は2つ。

 

1.サービスを受けない。

とにかく世間と関わりを少なくし、手続きを減らす。

 

2.手続きに慣れる

手続きをすることに慣れ、苦でなくなれば、面倒な気持ちからも解放されるだろう。

 

とか、考えたところで、どちらも即効性はない。今月の雑務からは結局解放されそうにない。

 

とりあえず、不備のないようにコツコツやっていこう。

 

きちんと受け取れているのか

日々の仕事の中で、様々な技術を教わっている。言葉で教わるものもあるし、言葉ではないものもある。お師匠さんが教えようと意図しているものもあれば、意図していないものもある。

 

いつも思うことは、お師匠さんから発せられているたくさんの大切なこと、それを僕はきちんと受け取れているのだろうか、ということ。大切なものが耳を素通りしていないか、目を素通りしていないか。そもそも耳に入ってくれているのか、目に入ってくれているのか。

 

いろんなものをインプットできるだけの感性が開かれているのだろうか。とても不安になる。

 

いつも素通りさせている大切なことでも、時間をかければ、いつの日か気づけるのかもしれない。

 

でも、それを待っていたんじゃ、最終手に理想の自分にはなれないだろう。

 

どんな小さなものでも掬い上げられるように、きめ細かい感受性が欲しい。そのためにも、一秒一秒を大切に、修行を重ねていかねば。